2011年07月29日

ca37の被災地レポート:その3

25日石巻「マンガストリート壊滅」と「やばい予感」
文責:ca37

25日 石巻市蛇田地区 みやぎ生協蛇田店2階

「ベビースマイル石巻」という子育てサークルが、こどもたちの被災後のこころケアをはじめたとの記事をネットで見つけ、メールでらくがきアートのことを伝えたのが、この日のワークショップにつながりました。
この日は、23組の親子が参加。大部分が未就園児で、4名が小学校低学年。お母さんも一緒になって、ワイワイ楽しいワークショップになりました。
最後は、お母さんと一緒に自慢の絵を持って、簡単な発表会と記念写真。
「◯◯くん、何を描きましたか?」と問いかけると、「お花」とか「ロボット」とか「プリキュア」とかしっかりと発表しました。
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ひとりひとりの発表に、みんな拍手。いい笑顔で締めくくれました。
しかしここで、大変なことに気づきます。それは翌日のワークショップで確信に変わりました。
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蛇田地区を後にして、昼食もとらず、石巻漁港方面へ。

こちらは南相馬と少し違って、「商店街」などの生活圏が見る影もなく壊されていました。
石ノ森章太郎のふるさとということで、彼のキャラクター像で活性化を図っている「石巻マンガストリート」など、
通りは車の往来がひっきりなしですが、よく見ると7割の店のシャッターが閉鎖。
また港近くの河口通りも、まるで空襲の跡地みたいです。信号はすべて消え、警官が手信号で往来をさばいていました。

漁港に到着。道路の真ん中に幾艘もの漁船の残骸が。見るも無惨に、全滅状態でした。しかし、建設機械がいたるところで働いています。
地域の人間の「負けん気」みたいなものを感じました。
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それから大船渡へ行く途中、南三陸、気仙沼を通り、次々とシャッターを切りました。南三陸は、「交通の墓場」みたいなイメージ。
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車や線路、橋、港湾が破壊され、いたるところにガレキとして山積していたのでした。動脈のとまった町、このまま腐っていくのか、
大手術してまた、活気が蘇るのか。黄昏が、明日のふるさとをあぶり出す、哀愁の光に見えました。

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Posted by じゃーまね at 22:14 │ca37の手記