2011年07月29日

ca37の被災地レポート:その2

24日・南相馬「子どもの心を被爆させちょる」
文責:ca37
24日 南相馬市立原町第二中学校「復興支援祭」に参加
朝8時半、現場到着。この会場を紹介してくれた東京の炊き出しボランティア「絆ジャパン」代表の有田さんにご挨拶。
ca37の被災地レポート:その2
有田さんは、東京で飲食店と店舗デザインをやっておられる方で、震災の翌日、一人で炊き出しに飛び出したそうです。
電話で何度か話しただけでしたが、とても気さくに対応していただきました。会った瞬間、握手!!
それから絆ジャパンチームの炊き出し会場設営に参加。今回は、「焼きそば」「そばめし」「クレープ」「たこ焼き」「かき氷」などが
ふるまわれました。
ca37の被災地レポート:その2
グラウンドでは、立派なPAをセットしたステージがあり、素人ミュージシャンから、セミプロまで色んなパフォーマンスが見れました。
ステージ背面には、「ありがとう祭り」の大文字が。また「鎮魂」「復興への祈り」といったメッセージが書かれておりました。
ca37の被災地レポート:その2
ca37の被災地レポート:その2
そしてらくがきアートワークショップというと。
準備終わってすぐ、「もう始まってますか?」というお父さんの声が。
「あ、絵、描かれますか?どうぞおすわりください」と言うと、
小学二年生の女の子がちょこんと椅子に座り、たくさんのひまわりの絵を描き始めました。
ca37の被災地レポート:その2
「お、ひまわり好きなん?」「好き」「家の近くに咲いてる?」「家、なくなった」
するとお父さんが、「休耕地にたくさんひまわり植えられててですね。それ見てたんでしょう・・・・放射能の件で、なかなか外に出れなくて・・・」
家を失い避難所生活、転校、友達との別れ、外出制限などなど、南相馬の被害は、地震津波以上に、原発の放射能被害の方が甚大のようでした。
特に子どもたちが犠牲になっている。そんな印象でした。大人は自分で人生選べますが、子どもは大人の決定にただただ付いていくしかない。
それが子どもというものなんでしようが、だからこそ、大人は子どものことを含めて、意思決定しなければならない。
強く思いました。

それから4時の店じまいまで、ひっきりなしに、親子、子どもたちのグループが「絵、描きたい」と集まって来ました。2度も3度も絵を描きに来る子もいる。
みんなニコニコ、元気に会話しながら楽しそうに描いていました。
相馬でのワークショップ、そうして集まったらくがき30枚程度。20名くらいの子どもと出会いました。

午後4時頃、会場を後にして、南相馬の海岸へ。

圧倒的な「悲壮感」「寂寥感」「畏怖感」に満ち満ちていました。
海岸部平野に広がる、人気のない廃墟の群れ。それと対照的に、巨大な火力発電所が鎮座しております。

ca37の被災地レポート:その2

ca37の被災地レポート:その2

ca37の被災地レポート:その1
ca37の被災地レポート:その3
ca37の被災地レポート:その4
ca37の被災地レポート:その5
ca37の被災地レポート:その6(完)


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Posted by じゃーまね at 22:06 │応援旗プロジェクト